情報誌「医療人」®

今月の医療人紹介

(2013年5月1日掲載)

福島県立医科大学会津医療センター
(耳鼻咽喉科) 教授  小川 洋 氏


地域のニーズに応えられる医療を目指し、
会津医療センターの耳鼻咽喉科診療が新体制でスタートした

 専門性の高い診療科の一つである耳鼻咽喉科。その診療の範囲は広く、脳及び眼球を除いた頭部から、首より上の頸部まで取り扱う。そのための手技は多岐にわたるため、耳鼻咽喉科専門医の取得後は、さらに各領域のスペシャリストとなり活躍している。今回は、耳科・鼻科のサブスペシャリスト(※1)として、福島県における側頭骨疾患の治療をリードしてきた小川洋先生に、耳科領域の疾患を中心にさまざまな視点からお話を伺った。先生は、たいへん複雑な構造である側頭骨領域の病態を正確に把握し、顕微鏡下での精度の高い手術手技を提供し続けるため、今なお積極的に海外まで足を運び研鑽を深めている。


福島県における人工内耳医療について
先天性の聴覚障害は、先天性疾患の中で最も発生する確率が高いそうですが

  • 人工内耳のしくみ (株)日本コクレア

 新生児の1,000人に1人の割合で、中等度以上の両側難聴児が生まれるといわれています。 これは、福島県を例にあげると一時13,000人ぐらい生まれている新生児の約10人弱に認められる疾患です。最近では、新生児聴覚スクリーニング検査の普及により早期に発見できるようになりました。検査の結果、要精密検査と診断された場合は、精密聴力検査機関での検査が必要となり聴力障害の程度を詳細に評価することになります。
 難聴は原因となる部位による違いがあります。その中で、内耳またはより中枢側でおこるものを感音難聴といいます。先天性の聴覚障害の多くは内耳の障害によるものです。中等度以上の音感難聴には補聴器の装用が行われますが、少なくとも 6 カ月以上継続装用しても効果が期待されない場合には人工内耳の適応が検討されます。音の世界を知らないまま成長することは、言語の発達に大きな影響を与えるため音声コミュニケーションを図ることが困難になりますが、高度の聴力障害でも人工内耳による早期介入が適応となる場合、術後の聴覚・言語訓練(以下、((リ)ハビリテーション(※2))を重ねることで話ができるようになる子供もいるのです。 

人工内耳の適応や選択時に重要な条件はございますか

 人工内耳の適応基準や医学的条件は小児と成人で異なります。福島県の現状では、小児に対する適応が圧倒的に多くなっています。人工内耳を装着することで、聞こえの神経が直接電気で刺激され、脳で音の刺激を受け取ることができるようになります。  
 適応を考える上で、特に小児の場合には重要なことがあります。それは、継続的にご家族のサポート体制が得られることです。また、人工内耳装用後に聴覚を主体として療育を行う(リ)ハビリテーション(※2)施設の協力が必要不可欠です。人工内耳を装用すればそれだけで聴力を得られるわけではなく、特に生まれつきの難聴である小児には術後のきめ細かい(リ)ハビリテーション(※2)が欠かせないからです。福島県には、通所あるいは入所により治療・訓練・保育・生活指導を総合的に行う福島県総合療育センターがあります。そこは、私が小児人工内耳医療を行う上で、密に連携してきた施設です。主に(リ)ハビリテーション(※2)を行う言語聴覚士をはじめ、施設全体として小児の療育に関して非常に優秀なスタッフが揃っています。ですから福島県の小児人工内耳に関する療育環境は、全国の施設と比較しても非常に高い位置にあると思います。このような素晴らしい施設があるおかげで、福島県の子供たちはとても良い療育を受けることができ、私たちの人工内耳医療も支えられているのです。

患者さんやそのご家族への対応では、難しい場面もあると思いますが

 聴覚障害は、比較的早い段階で明らかになる障害であることから、人工内耳などで聴覚を得ることができた後に別の発達障害が明らかになることがあります。人工内耳適応にあたっては、聴覚だけの障害なのか、それとも重複した障害があるのか、その事前予測が求められます。しかし現状では非常に難しいことです。このようなことから、人工内耳に良いイメージを抱いている親御さんたちに対してのさまざまな障害の可能性を含めた事前説明を十分に行わなければいけません。これはたいへん厳しい話ですし私たちにとっても辛いことです。それでも、IC(インフォームドコンセント)(※3)を必ず行わなければ、患者さんに申し訳がないと思います。バッド・ニュースをどのように正確に伝え理解していただくか、なかなか難しいのですが、時間をかけてもきちんとお話をするようにしています。
 私が福島県における人工内耳医療を立ち上げたきっかけは、「福島県で治療を必要としている患者さんは福島県で診療したい」そう思ったからです。そのような機会が自分に与えられたなら、実行しようと決めました。現在の福島県では、人工内耳医療により年間平均で5~6人の子供たちが音声コミュニケーションを図れるようになっています。私たちとしては、それまで音のある世界を知らない子供たちが音の世界を知ることができるのであれば、人工内耳装置と我々の技術そして療育ができる環境の中でお役に立ちたいということなのです。お子さんのために必死で何かしてあげたいと願う親御さんたちが沢山います。そのようななかで、福島県内で人工内耳医療が可能になったことを本当に良かったと思っています。

福島県においてもっとも多く側頭骨領域の症例を手掛ける
先生が手掛ける側頭骨領域の疾患にはどのようなものが多いのでしょうか

 手術の対象になる疾患は主に特殊な中耳炎です。その中でも、周囲の骨などを壊しながら進行する真珠腫性中耳炎(※4)という疾患が圧倒的に多くなっています。これは後天性の患者さんが中心で、先天性の割合は全体の3~2割ぐらいです。  
 先天性の中耳疾患または内耳疾患が影響し、先天的に片側だけの聴力低下している子供がいます。ただそれに気付くことは親御さんたちでも難しい場合があります。正常なもう一方の耳が両耳の役目を果たすため、本人は聴力が低下しているという意識をもたないからです。しかも、真珠腫性中耳炎(※4)が原因になっている場合でも、進行するまで症状がほとんど出ません。痛みを訴えたり、症状により機嫌が悪くなったり、そのような何等かのサインがあれば受診のきっかけになりますが、聞こえの部分だけに問題がある場合は気付かないまま経過することが多いのです。そうなると就学時検診で初めて発覚するようなケースも出てきます。  
 聴覚の情報はとても大事なことです。急に聞き返しが多くなったり、呼んでも返事をしなくなったりしたときには、聴力が低下した兆候ですので注意が必要です。また、それ以外にも、お子さんの反応に何か異変を感じたときには、そこに病気が隠れている場合がありますので速やかに耳鼻咽喉科を受診してください。  

真珠腫性中耳炎(※4) に対してはどのような治療を行っているのでしょうか

 この疾患が進行すると、破壊される場所により感音難聴、めまい、顔面神経まひなどの症状が表れ、場合によっては頭蓋内合併症(※5)などを引き起こす危険もあります。現状では、外科的手術のみが根治治療の方法となり、疾患の原因である組織(以下、真珠腫(※4))が存在している場所や病気の広がり具合により手術方法が検討されます。 
 大事なことは、真珠腫(※4)の状態を正確に評価し、病変の広がりを予測することです。会津医療センターでは、低被曝線量で高い空間分解能を持ち骨病変の描出に優れたコーンビーム CT(CBCT)が導入されます。このCTは、座った状態で撮影するため着座できない子供の撮影はむずかしいのですが、側頭骨、鼻副鼻腔、顎顔面といった骨で囲まれた領域の細かい部分まで診ることができます。このような機器の特性を理解して、病状を正確に判断していきます。
 大人の場合は、削った骨が再生しにくいという理由から一期的に手術ができることも多く、可能な限りそのような治療を心掛けています。ただ、摘出する場所を操作することで患者さんにより不利益が起きるような場合には段階手術を行います。一方、小児の場合は成長過程にあることから、手術の際に削った骨が再生してしまいます。このため段階手術を行うことを基本としています。さらに、摘出する真珠腫(※4)の皮膜がとても薄いため、破片が残りやすいという理由もあります。それはたとえ0.1mmの破片を残しても再発が起こってしまうのです。耳というとても小さな組織の中で、正常な部分をギリギリのところで残しながら真珠腫(※4)だけを摘出する手術では、より繊細な手術手技と経験が必要になります。

そのような治療により、聴力の改善は期待できるのでしょうか

(株)日本コクレア
 真珠腫(※4)により破壊される部位には、ツチ骨・キヌタ骨・アブミ骨という主に3つの骨があります。 それらの部位のどこが破壊されているか、またその病状の程度により改善状況は変わります。例えば、キヌタ骨が破壊されていても、アブミ骨が温存されていれば聴力が戻せることが多くあります。しかし、アブミ骨が破壊されているとなれば、手術を行う上で聴力改善のために最善をつくしますが、聴力改善の状況は難しいといえます。治療の結果として、患者さんの聴力が改善されることが理想ですが、何よりも真珠腫(※4)が存在することによって危険な症状が起こらないようにすることが大事です。
 患者さんの中には、真珠腫(※4)があることで音が異常な伝わり方をしている方もいます。このような方の場合、真珠腫(※4)を摘出することによって聴力の低下が起こることがあります。しかし、そのような場合でも、患者さんにとって疾患を治すために必要な手術であることに変わりはありません。これらの情報を術前にお伝えするのは容易ではありませんが、正確に病状を伝えた上で、少しでも患者さんの不安を取り除いてあげられるような対応を心掛けています。  

全国平均を上回る福島県の高齢化率について
加齢により聴力が低下する老人性難聴(加齢に伴う難聴)にも注目されていますが

 市町村別の高齢化率では、この会津地域でも高い状況にあります。当院に着任して以来、現代の超高齢社会に伴う疾患が身近な問題になりました。その一つとして、老人性難聴(加齢に伴う難聴)は今後の鍵になるテーマであると考えています。老人性難聴によりコミュニケーションの形成が難しくなると、心理的、社会的に孤立が生みだされる要因になります。このような問題に素早く対応する方法として、正確な聴力評価を行うことや認定補聴器店との連携を図ることが大事になると考えています。そこで当院では、積極的に補聴器のフィッティングを行っていきたいと考えています。補聴器には高価なものが多いのですが、値段ばかりを重視せず性能をよく確認した上で選択しなければいけません。また、装着後のフォローアップ体制があるかどうかが重要なポイントになります。補聴器の調整はメガネを合わせるよりも難しいと考えています。患者さん一人ひとりの難聴の程度に見合った適切な補聴器を供給する方法や、体制づくりを検討していく必要があると思います。  
 社会全体としては、聴覚と認知症の関係についての非常に難しい問題があります。現状ではまだ明確な答えを出すことができませんが、今後の大きなテーマとして捉えています。

周囲が配慮できることや、耳の健康を保つためのアドバイスをいただけますか

 実のところ、皆さんが意識している以上に聴覚に障害がある方はたくさんいます。しかし、未だ社会的体制が確立していないことから、それが周知されにくい状況にあると思っています。患者さんが補聴器を周囲に気付かれないように装着していることや、聞こえていなくても遠慮をして聞き返さないことからも聴覚障害者にとって社会の対応はままだまだ遅れていると感じます。 もし相手の方が聞こえにくいと気が付いたときには、より近くで話す、口の動きが見えるようにゆっくり話す、文章で情報を伝達するなどの配慮によってコミュニケーションが図りやすくなると思います。  
 耳の健康を保つには、難しい問題ですが、音を認識する脳の状態を良好に保つことが重要です。特に、糖尿病、高血圧、高脂血症などの脳血管に負担がかかるような病気に注意し、老化につながるような要因に気をつけることが大事です。耳だけが原因となる聴力低下は、常に大きな環境音の中で仕事をしているなど、特殊な環境になければ起こりにくいのです。毎日の生活習慣を整え、健康で元気で健やかに暮らしていただくことが何よりも大切で、普段から健康推進のために行っていることが、実は難聴対策にもなっており、耳の健康にもつながっているのです。  

専門性の高い耳鼻咽喉科の道へ
先生は、 サブスペシャリスト(※1) として耳科・鼻科領域を選び、どのようにして精度の高い技術を修得されたのでしょうか

 福島県立医科大学のシステムでは、卒業後の約10年間で耳鼻咽喉科領域をオールラウンドに経験した後、サブスペシャルティとして各々が専門領域を選ぶシステムになっています。私も、頭頸部ガンの手術などを経験し、さまざまな知識や技術を習得しました。  
 専門領域として耳科・鼻科を選択した一番のきっかけは、技術的な部分に興味を持ったことです。医学生時代の教授が耳科手術の領域で非常に有名な方で、その教授が顕微鏡下で行う細かい手術手技に強い憧れを抱きました。そこで耳科の非常に細かく専門性の高い領域で、他の人がなかなかできないような高い技術を習得したいと思ったのです。  
 また、医師が一人で手術治療を行える領域であることも重要でした。それは将来的なことまで考えてのことになります。私の家系には医師がおりませんでしたので、その中で医師を目指すことは、まったく領域の違うところに身を投じ、自分自身で道を切り開いていくことでした。将来的にひとりになっても技術を提供し続けられることが重要で、その領域として耳科・鼻科が入りやすいということがありました。  
 耳科領域において専門的な技術を身につけるためには、側頭骨の解剖実習を積むことがとても大切です。その複雑な構造をどのように理解し、どのような手術アプローチをするか、そのためのトレーニングを何度も行いました。具体的には、解剖学教室の協力でご遺体をおかりして手術用顕微鏡を使用した手術シミュレーションをしました。精度の高い手術手技を身につけるために、それを通常の仕事を終えた夜に繰り返しました。また、米国ロサンゼルスやシアトルでの側頭骨解剖トレーニングへ参加するなど海外での研修も経験しており、最近ではイタリアへ行かせていただく機会がありました。国内では、宮崎医大(現在の宮崎大学)、東京慈恵会医科大学や京都大学のトレーニングへ参加するなどして研鑽を積んできました。  

今後の会津医療センターでの医療に、どのような展望をお持ちでしょうか

 高齢の患者さんが多い会津地域では、誤嚥性肺炎や嚥下障害などの、咽の疾患に対応することも少なくありません。このようなことから、会津医療センターでは高齢の患者さんを中心とした耳鼻咽喉科としての医療展開として、補聴器の充実や高齢者特有の咽の疾患への対策にも取り組みながら、新体制での診療を充実させていきたいと考えています。  

※連載・医療人では、語り手の人柄を感じてもらうために、話し言葉を使った談話体にしております。


プロフィール
小川 洋 氏  (おがわ ひろし)

役  職 (2013年5月1日現在)
 福島県立医科大学会津医療センター
  (耳鼻咽喉科) 教授

出  身
 福島県須賀川市

卒業大学
 福島県立医科大学医学部 昭和62年卒

専門分野
 耳科学
 鼻科学(慢性副鼻腔炎、アレルギー性鼻炎)
 中耳手術
 人工内耳、側頭骨画像診断
 ウイルス性難聴
 内視鏡下鼻内手術

資格:所属学会等
 医学博士
 日本耳鼻咽喉科学会専門医
 日本アレルギー協会東北支部福島県世話人
 福島県アレルギー研究会世話人
 日本耳鼻咽喉科学会福島県地方部会理事
 日本耳鼻咽喉科学会代議員
 日本耳鼻咽喉科学会学術員

治療実績 2012.11.1現在(合計):
・側頭骨領域以外の耳鼻咽喉科頭頸部領域の手術を含む総手術件数 250件
真珠腫性中耳炎(※4)の手術件数 およそ500件
・人工内耳の手術件数 およそ80件 / ・その他 聴器癌 20件

公立大学法人福島県立医科大学
会津医療センター

 〒969-3492
 福島県会津若松市河東町谷沢字
 前田21番地2
 TEL:0242-75-2100
 FAX:0242-75-2150
 URL:公立大学法人福島県立医科大学 会津医療センターホームページ




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◆用語解説◆

※1 サブスペシャリスト

耳鼻咽喉科専門医取得後、さらに専門として自分の興味や適性に合わせて選択し、修得した各領域のスペシャリスト。   

※2 (リ)ハビリテーション(rehabilitation)

リハビリテーションの(re)は再び・回復の意を示し、身体、精神、社会的な障害を持つ人に、社会生活の回復や促進を目的として行われる総合的な支援サービス。しかし、先天性もしくは生まれてから早期に機能障害を持つ(ここでは一度も音を聞いたことがないこと)児童の場合、回復という意味は適していないためハビリテーション(habilitation)とされている。このようなことから児童の場合はハビリテーションとリハビリテーション両者のケースがあることから(リ)ハビリテーションとしている。  

※3 IC(インフォームドコンセント)

医師、歯科医師、薬剤師、看護師、その他の医療の担い手は、医療を提供するに当たり、適切な説明を行い、医療を受ける者の理解を得るよう努めなければならない。(医療法の規定より)  

※4 真珠腫性中耳炎

鼓膜の一部が奥の中耳側に向かって陥凹し、上皮が層状に蓄積して(真珠腫)周辺の骨を徐々に破壊していく進行性の病気。(先天性の場合は、鼓膜に関係なく存在する)  

※5 頭蓋内合併症

真珠腫が頭(頭蓋底部)に向かって進行すると、炎症が波及し髄膜炎、脳膿瘍などの生命予後に強く関わる症状をきたすことがある。  

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2016.01掲載号~ 2014.10~2015.12掲載号 2013.07~2014.09掲載号
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