情報誌「医療人」®

今月の医療人紹介

(2014年1月1日掲載)

公立岩瀬病院 病院長 三浦 純一氏


「日本で一番長寿のまち」をめざし、地域の健康を守りつづける

 JR須賀川市を下車するとメインストリートの真っ直ぐ先の高台に公立岩瀬病院がある。1872年(明治5年)に福島県立須賀川病院として創立されて以来、141年の歴史を誇る地域の中核病院である同院は2011年3月の東日本大震災による甚大な被害を乗り越え、昨年2013年12月2日に中央診療棟・外来棟をオープンさせた。今回は、病院長で(※1)日本内視鏡外科学会技術認定取得医師(消化器・一般外科領域)また同審査委員でもある三浦純一先生に話を伺った。先生は地域とのコミュニケーションを積極的に図りながら、地域の医療を守るべく最大限の努力を続けている。そして「これからも地域住民と一緒に苦労する病院でありたい」と力強く語ってくれた。


災害に強い病院へ
昨年2013年12月に開設した中央診療棟・外来棟は災害に強い病院を意識されたそうですが、具体的にどのような整備をされたのでしょうか、またその他の特徴を教えてください

 当院は、2011年3月11日の東日本大震災により、旧病棟が全壊、旧外来棟が半壊という甚大な被害を受けました。大震災当日は、翌12日に控えていた現病棟(2011年3月開設)への引越しに備え、一時帰宅中の入院患者さんもいました。このため、被害規模は非常に大きなものでしたが、病棟患者数が少なかったことが幸いし、一人の人的被害も出さずにすみました。当時、私は副院長でしたが、実はその数日前に病院長就任のお話をいただいていて、お引き受けしたのが大震災の前日でした。正式な辞令は翌月いただきましたが、この大震災とともに私の病院長としての役目が始まったといえます。
 それからは、旧病棟の解体や3階建ての旧外来棟を2階建てにする応急修理、その他、各所の復旧・修復作業を続けながら、昨年12月2日に中央診療棟・外来棟を開設するまでの約2年半、旧外来棟での診療を続けてきました。こうした大震災の教訓を生かした新棟は、「大規模災害への備え」を一つの特徴にしています。具体的には、外来棟の出入り口に大きく庇を設けたことと、そこから繋がる待合ホールの間仕切りを可動式にしたことで、緊急時にはトリアージ実施スペースを広く確保することができます。さらに、そこには医療ガス設備や非常用電源コンセントも設置してありますので、処置も可能です。また、同様の備えを3階の大会議室にも施し、一時的な患者さんの収容場所として転用できるようにしました。
 外来フロアの特徴としては、2階に外来診療機能を集約させ、看護外来(糖尿病看護認定看護師、皮膚・排泄ケア認定看護師による相談が可能)や県内初となる病理外来の設置、また鍼灸外来(疼痛管理、美容鍼灸に対応)を新設しました。さらに、化学療法室は4床から12床に増床し、県中・県南地区初となる最新型320列CTスキャン(検査時間の大幅な短縮、従来CTに比べた被ばく量の低減)を導入しました。これにより、がん治療への積極的な取り組みや、高精度で正確な画像診断による疾患の早期発見をめざした診療を行っています。


先生は震災時に臨時災害FM局を立ち上げ、現在は院内ラジオの発信をしているそうですが

 東日本大震災の教訓のひとつに、情報発信があります。私は、震災後の4月6日から2ヶ月間、須賀川市臨時災害FM局から医療情報を発信していました。今回の大震災では、各診療科の稼働状況や薬の有無、それから手術を予定している患者さんに対する情報、といった病院ならではの情報発信がとても大事でした。そこで私たちは、医療情報をいち早く発信し、それとともにラジオから流れる私たちの声で安心していただけるように、期間中は毎日24時間放送し続けていました。現在は、FM機材を設置したスタジオでミニFM局を開設し、病院ラジオ番組を発信しています。最近はスマートフォンなどの電子機器を利用してラジオを聴くことも可能ですので、外来の待ち時間対策としても有効です。番組の中では、医師による啓発活動を行ったり、音楽を流したりしながら、今後も患者さんが欲しい情報を提供できるように考えていきたいと思っています。 
 私がこのようなことを始めたのは、情報発信を医師(医療者)の役割として捉えているからです。こうした考えのもと、災害FM放送が終了してからは、一般の方を対象にした放射線被ばくに関する講演会(勉強会)を70回以上開催してきました。私は、呼ばれればどこへでも行きます。時には、皆さんにうまく伝えることができず、ご指摘を受けることもあります。それでも注意すべきことを皆さんと一緒に悩みながら、その時々の状況を説明したいと思いますし、できる限り「わかりやすい言葉」を用いて伝える努力を続けて行きたいと思っています。


内視鏡外科技術
貴院が得意とする診療分野を教えていただけますか

 当院は、内視鏡外科治療を得意としています。現在、私を含めた3名の(※1)日本内視鏡外科学会技術認定取得医師(消化器・一般外科領域)が在籍しており、私自身は県内の消化器外科で唯一、同技術認定審査委員の資格を保有しています。ただ、この認定は、本人の自由意志により申請・取得するものですので、当院には認定申請をしていない医師であっても同等の技術を持った優秀な医師が揃っています。この医師らにより、昨年は年間270件の内視鏡外科手術を行いました。私たち内視鏡外科チームは、消化器・一般外科領域のほぼ全般に対する治療が可能で、特に鼠径ヘルニアに対する手術技術は日本で一番優れていると自信を持っています。大腸がんや胃がんに対しては、症例を選び、正確な手術をすることを心掛けており、一般的に治療実績が少ない領域とされる肝臓がんの手術に対応する技術も持っています。当院では、解剖医学的に正しい手術を行い、術創がきれいな手術を得意としていますので、手術後の患者さんは痛みもなく胡坐をかいているほどです。こうした治療実績を知り、県外から来院される患者さんも多くいます。
 

技術的な難易度が高いといわれる内視鏡外科手術ですが、先生は技術習得のためにどのようなトレーニングを積まれてきたのでしょうか

 日本で内視鏡外科手術が始まったのは1990年~1991年頃です。当時、私は福島県立医科大学第一外科に所属していて、「良い医師がいる」と聞けば、国内外問わず足を運んでいました。また、自宅でも技術習得に役立つトレーニング方法を考え、実施するなど、常に意識を持った生活を送っていました。例えば、内視鏡の手技を磨くにあたり、両手を自在に使うための練習として、両手に箸を持って食事をしたり、縫合・結紮の訓練として買い物用のかご穴から管を入れて、中に置いたスポンジを縫ったりと、さまざまな練習を重ねました。こうしたトレーニングの結果、私はこの時代に東北初となる内視鏡下の大腸癌摘出術を成功させることができたのです。

 内視鏡外科手術は、患者さんと医療者の双方にとってメリットがあります。まず、患者さんにとっては、開腹手術に比べて傷が小さいというコスメティックな面が大きいと思います。一方、医療者にとってのメリットは、手術中にビデオスコープで撮影される臓器の内面を、そこにいるスタッフ全員がテレビモニターで画面共有できることです。こうした画面共有は、スタッフの教育にも非常に効果的です。例えば、超音波検査で発見できる疾患の一つに急性虫垂炎があります。その診断ポイントを指導するにあたり、手術室に超音波検査技師を呼び、実際の虫垂の様子を診させながら教えていきます。このような指導を続けると、自分で診て学びとった情報を頭の中にフィードバックさせるため、すぐに次の診察に生かすことができ、超音波検査だけで診断できるようになります。こうしてあっという間に日本一の内視鏡外科アシスタントになれるのです。また、執刀医にとっては、録画した手術映像が技術向上に役立つ資料になりますし、助手との連携の良し悪しを評価する資料にもなり、とても有用です。
 私は、医療において、医師が患者さんにできる事はそう多くはないと思っています。そう考えると、医師だけが優れていても意味がなく、チーム医療体制がとても重要だということが分かります。だからこそ、教育体制を充実させ、人材育成の環境を整えなければいけないと思います。そして、その上で病院の全スタッフが気持ちよく働いていれば、患者さんに伝わる仕事ができると思っています。このような考えから、私は、院内の全スタッフが“医療人として同格である”というポリシーを持って病院長を務めております。


先生は、今後の内視鏡外科領域の動向についてどのようにお考えでしょうか

 内視鏡外科手術は、その手術を正確に行っていることで、人間の解剖医学がだんだん分かってきます。解剖医学的に言うと、人の臓器は膜に包まれていて、内視鏡カメラで大写しにすることでそれが見えてきます。さらに膜構造を見ていくと、血管が入っている部分と入っていない部分があるのですが、その血管の入っていない部分を切離していくことで出血のない手術が可能です。こうした膜を意識した手術では、直腸がんの場合はその深達度にもよりますが、きれいに切除する事ができます。実際には、このような膜構造を意識した手術を行う事は必ずしも容易ではありませんが、内視鏡手術ではこうした繊細な手術が可能です。将来、大腸がんのほとんどにこの術式が採用されるようになり、特に直腸がんに至っては開腹術に取って代わるのではないかと考えています。  


医療コミュニケーション
患者さんとのコミュニケーションの大切さを感じるのはどのようなときでしょうか

 それは特に患者さんが困っている時や、患者さんにとってよくない話をする時です。私は、以前「病院の言葉」を分かりやすく提案するための議論の場として設立された、国立国語研究所の「病院の言葉」委員会に在籍していました。現代は、医療の進歩とともに、患者さん主体の医療が推進されるようになり、医療者から受けた病気や診療に関する説明に対して、患者さん自らがそれを理解し、納得した上で選択することの重要性が高まりつつあります。しかし、実際のところ、医療者が使う「病院の言葉」は非常に分かりにくいことが多く、患者さんが正確に理解して意思決定に至るのは容易ではありません。そこで、この委員会では、患者さんの障害となる分かりにくい言葉等を研究し、分かりやすく伝えるための工夫を提案する活動を行っていました。 
 私がこの委員会で学んだことは、「難しいことをやさしく説明する」ということです。相手の心に寄り添った配慮のことを、ポライトネス・ストラテジー(politeness strategy)といいますが、politenessには、丁寧さ、礼儀正しさ等の意味があり、そういったstrategy(方法、計画、戦略等)はしっかりあります。特に、外科医は、患者さんと話をする時間が取れないことが多いのですが、私は、外科医こそコミュニケーションが必要だと思っています。 それは、例えば「はじめまして、私が主治医の三浦です」という場面からコミュニケーションがスタートし、がんの患者さんであれば告知をしなければいけません。それから進行度や手術に関する相談を行い、手術後は術後治療・経過観察と続きます。そうして病気が完治に向かう人もいれば、手術の結果で化学療法が必要な人、数年後に病気が再発してしまう人もいて、場合によっては医師の役割として患者さんの最期をお伝えることもします。こうしたさまざまな場面において、外科医という職業柄、コミュニケーションは必要不可欠だと思うのです。


医療者として大切なことはどのような事だとお考えでしょうか

 私が内視鏡外科を専門にしていてよく分かることは、手術のqualityはもちろん高くなければいけませんが、それは病気全体を治す一つのステップでしかないということです。言い換えれば、手術のqualityが高いというのは当り前の事であり、それに加えてその先も患者さんに寄り添い、最期の時まで見守り続けることができるかどうかが重要だということです。その中で、できるだけ患者さんに解り易い言葉を遣い、しかもつかず離れずの距離感を保ちながら、年余に渡ってこうしたプロセスを繰り返して行くことが大事になります。私は、それができない限り良い医者ではありえないと思っています。さらに、こうしたプロセスの中では、他の医療スタッフや登録医の先生方とのコミュニケーションが必然となりますので、そこまで出来て初めて患者さんにとっての良い病院になれるのだと思っています。

 当院は、141年の歴史を誇る地域の中核病院です。現在は、県南地区からの救急車の受け入れが多いこともあり、郡山市にある病院の防波堤としての役割も担っています。
 この長い年月の間、この場所に当院があることは、もしかしたら地域の皆さんのDNAの中に組み込まれているかもしれません。だからこそ、今回の建替えに伴う移転は全く考えませんでしたし、ここにあることに意味があると思います。須賀川市の人口は、約7万8千人で、周囲の市町村を全部合わせると約14万人です。患者さんは、いわき方面に続く国道118号線沿いの地域からも多く、遠方は30㎞以上離れた地区からも通われています。当院のコンセプトの一つは、『 健康人も集う病院 』で、例えば医療に限らず、新たなコラボレーションを発想できるのもうちの病院だからこそ成せる事ではないかと思っています。今後も、患者さんに寄り添いながら優しくあり続けるとともに、地域の皆さんとのコミュニケーションをより大切にしていきたいと思っています。


今後の目標と展望
地域の現状をどのように受け止めていますか

 地域では、医師不足が深刻です。平成23年3月1日から平成24年12月1日までの病院勤務医師の増減を、福島県第6次医療計画で示された統計から見ると、県中地区で34名、県全体では64名の医師が減少しています。この減少には主に若い世代の医師が目立ち、こうした状況が続けば、この地区の救急医療そのものが成り立たなくなってしまうのではないかと危惧しています。
 東日本大震災、そして福島第一原発事故以来、

中学2年生を対象とした外科手術体験セミナーを毎年開催
地域全体を含めて非常に苦しい状態が続いていて、今以上に厳しい時期が来ないとも言えません。それでも、当院は、地域医療を守るために最大限の努力を続けながら、積極的に招聘活動を行うことで30名以上の常勤医師体制の確立(中長期計画)を目標として掲げています。特に、小児科医、消化器内科医、麻酔科医、脳外科医の招聘に力を注ぎ、地域完結型医療を推進する中核病院をめざしたいと思っています。現状を深刻に捉えながらも、全スタッフが一丸となり、今できる中でのベストパフォーマンスを尽くす努力を続けていきます。 


2014年の抱負と今後の展望を教えてください

 私の2014年の(※2)バランスト・スコアカード(Balanced Scorecard:BSC)のビジョンは“マイチョイス”です。今の状況下で、私たちにできることは、一人ひとりの患者さんに丁寧に接しながらお付き合いしていくことだと思っています。
 “マイチョイス”とは、地域の皆さんに、自身や家族などの大切な人たちが病気になった時、『 私が選ぶ(チョイスする)病院 』として選んでいただける病院を目指すことです。それから私のFacebookページには、「 Resiliency 」という表題を掲げています。「 Resiliency 」 には弾力性という意味があり、ゴム毬のように困難をはじき返す病院にしたい、そして何度踏まれてもフカフカに戻る絨毯のように、私たちも復活のエネルギーを蓄えている。そういった想いからこの言葉を選びました。この想いをどのような言葉でやわらかく伝えていくか、それも私自身のテーマの1つです。

 最後に、喫緊の課題の一つとして、阪神淡路大震災の2年後ぐらいに増え始めた子供たちの心の問題が、今この地域でも出始めています。これは難しい問題でありますが、子供たちを守るためには、同時にそのお母さんたちをサポートする体制が必要だと思っています。そのため当院では、東日本大震災の後から、鶴見大学日本文学科所属の吉村順子先生(臨床心理士)に来ていただくなどしながら、月に一度、地域のお母さんたちを対象としたサロンを開催してきました。新設した中央診療棟・外来棟では、こうしたサロンを開催できる場所も十分にありますので、今後も「女性に優しい地域」をめざしながら、さまざまな機会を提供していきたいです。そうしてまさに、当院のコンセプトである「健康人も集う病院」として、これからも『 地域住民と一緒に苦労する病院でありたい 』これが私の展望です。


※連載・医療人では、語り手の人柄を感じてもらうために、話し言葉を使った談話体にしております。


プロフィール
三浦 純一氏(みうら じゅんいち)

役  職 (2014年1月1日現在)
 公立岩瀬病院 病院長
 内視鏡外科

出  身
 福島県

経  歴
 1979年 福島県立医科大学第一外科入局
 1983年 米国シカゴ ロヨラ大学留学
 1989年 カナダ アルバータ大学留学
 1996年 公立岩瀬病院外科部長
 2004年 日本内視鏡外科学会技術認定審査員
 2006年 厚生労働省認定個人情報保護団体委員長
 2007年 日本医業経営コンサルタント協会 情報化(IT)特別委員会委員
       国立国語研究所 「病院の言葉」委員会委員
 2010年 公立岩瀬病院 副院長
       福島県立医科大学 臨床教授(外科学)
 2011年 公立岩瀬病院 病院長就任、現在に至る

資  格:所属学会
 医学博士
 日本外科学会指導医・専門医
 日本消化器外科学会指導医
 日本内視鏡外科学会技術認定制度審査員 技術認定医
 
<主な著書>
 「病院の言葉を分かりやすく-工夫の提案」(勁草書房)
 「個人情報保護法 医療現場のQuestion & Adviceハンドブック」(第一法規)


 公立岩瀬病院
 〒962-8503
 福島県須賀川市北町20番地
 TEL:0248-75-3111
 URL:公立岩瀬病院ホームページ







◆用語解説◆

※1 日本内視鏡外科学会技術認定取得医師(消化器・一般外科領域)

一般財団法人日本内視鏡外科学会の技術認定制度による認定取得医師。日本外科学会専門医あるいは指導医であることや、専門領域の内視鏡下の難易度の高い手術を独力で完遂でき、かつこれらの手術の始動ができることなど、その他さまざまな技術認定申請資格を満たす医師が、消化器・一般外科領域において高い内視鏡手術技術を評価され、かつ後進指導に対する所定の基準を満たすことで認定証の交付を受ける。

※2 BSC(バランススコアカード)

BSC は、米国において開発された組織の任務や使命(ミッション)、将来の見通し(ビジョン)などをもとに「財務」「顧客」「内部プロセス」「イノベーションと学習」などの戦略を可視化(見える化)するマネジメントツールで、近年、医療界でも導入が進んでいる。
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2016.01掲載号~ 2014.10~2015.12掲載号 2013.07~2014.09掲載号
2012.04~2013.06掲載号 2011.09~2012.03掲載号