医療人材育成支援

自分の生活ルールと予習がポイント!

自分の生活ルールと予習がポイント!
先生が医師の仕事を意識されたきっかけは
 小学6年生の時、朝学校に行こうと思ったらネパール連邦民主共和国でお医者さんをやっている日本人の先生がテレビで紹介されて、「もうこれは遅刻覚悟で見ないと!」って思って見たんです。そこで岩村昇先生という方が現地でレントゲンを背負って働いている姿を見て、漠然とこんな仕事で色々な人の役に立てるんだと思いました。それから何か頑張れば自分という人間が生かせるのではないか、人の役に立てるのではないかという思いがずっと残ったんです。それと小学2年生の頃、母親が病気で何回も発作で倒れていたのを目の当たりにしていたので、何とか自分で治せないかなとも思っていて。でも、そんなことができるなんて誰も教えてくれない。だから自分でもできるわけないと思いながらも、目の前で困っている人がいたら助けられるかもしれないって、本当に小さなイメージでしかないけれど小学校の中~高学年に向かって出てきました。
そのまま医師の道を目指されたのですか
 いいえ。私が住んでいた宮城県北西部の田舎には診療所があって、そこの医者の子供もいたのですが、中学進学の前にみんな医師を目指すため仙台市に出て行ってしまって。そんな時、誰かが教えてくれたんです。「お医者さんは、お医者さんの子供しかなれない」って。その言葉がずっと私の中に生きていて、想いがあっても医師という道はないという変えられない思想ができてしまった。でも、それは見事な誤解でした。
その思想を変えた出来事とは
 中学2年生ぐらいになった時、高校生だった自分の叔父さんが蛍雪時代という雑誌をたまたま持っていて、その付録にあった「各職業のなり方」っていうハンドブックを何気なく見たんです。その時の事は今でも覚えています。だってのっけから「お医者さんは、学校に行けば誰でもなれます」って書いてあったから。もう衝撃!それまで無理だとばかり思っていたから親にも聞けなかったんだね。だから目指せると分かってからは俄然やる気が出て。他の道も考えたけれど“ビビンッ”という感覚があったのは、学校を遅刻してもいいと思うほど夢中にさせた医師という職業だけだった。なれるならなりたい。だめだったらしょうがないっていうような考えでしたかね。
そうすると医師のお子さんのように仙台の高校に行かれたのですか
 学区の関係で仙台市の高校は無理だったんです。しかも近所には当時医大に通っているような先輩や関係者は全くいなくて、周りは近くの高校に通っていたから自分もそこに行くんだろうなって。でも、その学校からお医者さんになったという話はあまり聞かなかったんですよね。だから担任の先生に「医学部に入った人がいる高校に行きたい」って相談しました。やはりそこから変えないといけないと思って。それで学区内で行けた県境にある岩手県の進学校に決めたんです。うちの中学から行った先輩はそれまで1 人もいなかったし、一緒に受験する人もいなかったから説明会も受験もいつも一人ぼっちでしたけど。ただ、受験当日に男子校だとばかり思っていたら女の人も来ていて。もしかして男女共学?って知ったら俄然やる気になった(笑)。
そうすると医師のお子さんのように仙台の高校に行かれたのですか
どんな高校時代を過ごされたのですか
 下宿だったので、もうやれるだけ勉強をやるしかないと思いました。その高校は田舎とは言え進学校だったので優秀な子も多くて、最初の試験では300人位の中で120番ぐらいだったんです。自分はもう少し成績が良いと思っていたからショックでしたね。でもその瞬間、「絶対に勉強する!」って思いました。だから最初はクラブにも所属したけれど、続けていたら勉強できないと思ったのかすぐにやめたんですよ。それで本当にギアが入ちゃって。もう徹底して勉強する3年間でいいやって。今思うと、クラブと両立する生活を意外と早い時期に諦めたのが良かったのかもしれませんね。
 おそらく高校受験は、それほどハードルは高くないんですよ。中学時代はみんなクラブにも入るし、そこで楽しく人間形成することが大事だから。とにかく行きたい高校をみつけて受験までの期間を逆算して頑張ればいいと思う。その点、中学は両立が必須。だけど高校では、医学部を目指すのに成績がギリギリかなって思う生徒さんの場合、両立は難しいと思う。うちは弟も大学を目指していたから親も大変だったので、勉強もクラブもっていう生活は下宿をした時点で親に申し訳なくて諦めたような気がする。例えばそういう家庭の事情もあると思うんですよ。いわゆる進学に特化した塾に通えれば、クラブを続けても良い成績が取れるかもしれないけれど。そうはいかない中で夢を実現しようする時、私の経験からは成績を伸ばすためにクラブには入らなくてもいいと思っています。私は医学部に合格して貼りだされている先輩の名前を見るたびに、「自分も、もしかすると…! 」っていう希望が膨らんで。その合格者数が3~4人だったので、この高校では5番以内に入っていないと医学部は無理なんだなって逆算できるようになったら、あとは地道にと思ってやりましたね。
勉強の成果はどうでしたか
 高校2年生のいわゆる期末テストで5番になりました。それで自分もやればできるっていう気持ちになった。その後も浮き沈みはあったけれど、医学部の受験資格が得られるなと思ったのは、その時の感覚からですね。最終的には8番位だったかもしれないけれど、受験しても怒られないかな、というところまではなりましたね。
先生の学習方法を教えてください
 自分で生活ルールを作る。私は学校から帰って来たらすぐ寝ました。下宿だったからご飯のときに確実に起こされたんです。だから起こされるまで寝て、眠い目を擦りながらご飯を食べる。そうするとシャキッとするので、そこから朝の4時ぐらいまでが勉強の時間。そうやってきちんと決めた時間まで起きていられるような癖を付ける。そうすると継続的な勉強ができるんじゃないかなって思いますね。だから学校では眠いんだけれど、とにかく帰れば眠れるって思うと頑張れましたね。その繰り返しです。あとはもう予習だけ。復習はいらないです。予習をして行くと授業で聞くことが復習になるので。それから高校時代は模擬試験をよく受けました。今こうやって医師になって都会の有名進学校を出た周りの先生たちに話を聞くと、中学3年生の時に高校1年生の勉強まで終わり、高校2年生の真ん中でもう本来高校で学ぶべき勉強が終わっていたって話す人がほとんどなんです。自分なんて田舎の高校でそんな話を教えてくれたことは1回もなかったのに。そういう話を聞くとちょっと悔しかったですね。
目標の大学に入って自分でやりたい道を目指すことは面白い。だからそれまでの苦労
はしょうがないって思う。
受験勉強のときの心の支えは何でしたか
 今考えると、勉強の力を抜いた時期はあまりなくて。意外と頑張っていたような気がします。ただ、それでも成績ってそんなに伸びないですからね。それは本当に悔しかった。こんなにやっているのにと思っても上がらないんですよ。だからそういう時こそ、友達と勉強以外の事もたくさんしゃべったりして。男同士だけどみんなで回し日記をしましたね。目指す道は全然違ってもお互いの夢を書き合ったり、面白い本があったら書いたり。友達ってクラブが一緒だからできるばかりじゃなくて、頑張って目標の大学に行くために勉強していくと、必ず同じように頑張っている友達ができると思う。そういう友達は大切な友達ですよね。私も作りたくてできた友達ではなくて、結果的にできた友達なんですかね。それまで自分は一人でもやるんだって思っていたけれど、一人じゃないんだって思えたというか。だから自分の考えていることが正しいかどうかを、冷めた目で見てくれる客観的な友達がいてくれて良かった。当時の日記を見ると恥ずかしくなるけれど(笑)、色んなこと、詩なんかも書いていましたよ。今はメールの時代だけれど、自分たちはそれをちゃんと文章で書いて見せ合っていたわけだから、そういうのはやはり迷いとか不安を自分たちで何とかしようと編み出した技かもしれませんね。
先生の活力はどこからきていましたか
 一生懸命映画を見ましたね。特に夢を叶える映画は中学生や高校生には一番じゃないですか。自分はロッキーという映画を何度も見ました。色々な映像を見て、夢を叶えることってこう面白いんだと思ったり、自分に合っている仕事がイメージできたり、そうやって影響を受けると頑張れたような気がします。特にロッキーの最後にフィラデルフィア美術館でガッツポーズをして叫ぶシーンがあって、いつかやろうって思って。だから医師になってアメリカ留学した時はすぐに行って、同じ場所でガッツポーズしたのを覚えています。そのぐらい夢を持った自分を助けてくれたな。あの頃、あの映画がなかったらどうだったのかな。そう思うくらい活を入れられていたような気がします。
医師を目指す学生の皆さんに伝えたいことはありますか
 私のように動機から医師になりたいと思った子供さんがいたら是非、応援したい。私は、親戚に誰一人お医者さんも医療関係者もいなかったんです。父は学校の先生で、周りは主に農業だったし。だから医療なんて全く知らない世界で、アドバイスをしてくれる人もいなかった。イメージだけで突っ走っていた。だから分かることは、夢を持ち続けることができていると早く準備ができる。例えば、福島医大の入試に有利な高校に入ることで医師への道が近くなると思うんですよ。そういう意味では早いうちから目標を持って勉強して欲しいなって。そしてお医者さんになりたいという思いがあるなら是非、叶えて欲しいなって思います。応援しています!
ー 医師という職業は ー 医師の前では、患者さんはすべてをさらけ出し、助けを求めます。その願いに可能なかぎり答えられるような医療技術を習得することはもちろん、自分という医師に出会ってよかったと思ってもらえるような魅力ある人間になれるように、一生涯、充実した勉強ができる職業です。
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